有限会社ニューイング工藤文子氏

魂が求めるままに 踊り、描き、学び、起業した!

同友会企業が店舗改装をするとき、近頃人気なのが「有限会社ニューイング」。
最近では、「カフェリーフII」や「ドギーベリー」の店舗改装を手がけている。
その代表取締役を務めているのが、工藤文子さん。
「踊れる建築士」として、名を馳せている。色っぽい衣装に身を包み、ベリーダンスをエキゾチックに踊る建築士である。

実家は工務店 職人さん達と共に育った

有限会社ニューイング工藤文子氏 家族写真

工藤さんは、1959年、横浜市神奈川区生まれ。
当時、父は建築士で、工藤さんが4歳の時に小川工務店を立ち上げた。
自宅2階には職人さんがたくさん住み込み、2歳上の姉と共に、職人さんに囲まれて賑やかな幼少期を過ごした。

母は工務店の経理で忙しかったため、地域の公立小学校ではなく、私立の武相小学校に進学した。
当時は引っ込み思案で、母の手を決して離さない子どもだったという。
だが、1学年1クラス(18名)しかない小学校だったため、クラスメートは次第にみな兄弟のように親しくなっていった。
そして、ドッジボールや缶蹴り、「ろくむし」という遊びに興じる活発な少女に育っていった。

その後、中高一貫校である横浜女子商業に進学した。
「お嬢様学校で知られるフェリス女学院の隣です。」
と笑うが、学校の向かいにあるカトリック山手教会の牧師さんと仲良くなり、ユーミンが松任谷正隆さんと結婚式の打ち合わせに訪れた時には友人と二人だけ特別に呼んでもらい、一緒に写真を撮らせてもらったのは今でも大切な思い出になっている。

中学校で最初に入部したのはバレー部だった。
だが、1年生の文化祭のとき、ダンス部が踊った創作ダンスに一目惚れ。
部長の格好良さに憧れて、すぐに転部を決める。
それが、ダンスとの最初の出会いだった。
中学2年生の終わり頃には、もっとダンスがうまくなりたいと、クラシックバレエも始めた。

「幕が上がって、スポットライトを浴びたときの瞬間がやみつきになりました。」と、目を輝かせる。

だが、高校一年生の終わり頃から、ディスコ通いにもはまっていく。もちろん、学校では禁止されていたのだが、横浜駅近辺、伊勢佐木町、本牧などのディスコに友人と頻繁に通っていたと言う。「それでも、夜は早めに帰っていましたよ。」と、真面目な学生だったことも強調した。

有限会社ニューイング工藤文子氏 ダンス部

横浜横須賀道路が開通前に、車で走行!

ダンス三昧の高校生活を終えると、大成建設に就職した。
当時は、男女雇用機会均等法もなく、横浜支店の「準職員」になった。

最初は、庶務課。そして、二年目は積算課勤務になった。
だが、現場が好きだった工藤さんは、三年目には希望して現場事務所勤務へ。
横浜横須賀道路の現場事務所だった。
担当したのは、六浦第二トンネルと第三トンネル、そしてその間の橋梁の工事だったという。
横浜横須賀道路の開通前には、安全パトロール車で、まだ一般の車が走っていない道路を走ったのがとても気持ちよかったと笑う。

だが、22歳の時、母が体調を崩し、実家の経理を手伝うために小川工務店に戻る。
当時は、三井ホームの協力業者になっていて2×4(ツーバイフォー)建築を年間60棟ぐらい建てていた。

35歳の時、小川工務店の職人だったご主人と結婚。
中学2年生の時から兄のように慕っていたご主人との結婚は、家族の強い勧めもあってのことだったという。
当時はバブル景気まっただ中。まもなく、ご主人は小川工務店の監督に昇進した。
だが、業界は分離発注になっていき、一棟当たりの売り上げがやがて激減していく。

そんなある日、父である社長から、ご主人と共に建築士の資格を取るよう社長命令が下る。
日建学院に二年間業務終了後に通い、無事にご主人と共に二級建築士の資格を取得した。
そして、せっかく資格を取ったのだからと、リフォーム工事の営業や現場の仕事を担当することになる。

大学で哲学を専攻し、たった一人で起業

だが、26歳の時、このままでいいのかという不安に突然かられるようになる。
思い返せば、高校卒業後は仕事ばかりしていて、ひたむきに走り続けてきた。
そこで、思い悩んだ末に、今度は日本大学通信教育部哲学専攻に入学することにした。

元々、京都が好きで、寺社仏閣や宗教に興味があった。
仕事をしながら、卒業必要単位を6年間で取得した。
そして、あとは卒業論文を残すばかりになっていた。
その時、工藤さんが選んだのは西田幾多郎の「善の研究」である。
その研究に、なんと2年間を費やしたという。

こうして8年かかり日本大学を無事に卒業すると、翌年にはもっと思い通りの仕事をしたいと「有限会社ニューイング」を設立した。
当時は、すでに姉が小川工務店を継承していたのだが、社長となった義兄の仕事スタイルは、当然のことながら父のスタイルとは異なっていた。だが、工藤さんは父のスタイルに対する思いとこだわりがあった。それでも、義兄に対抗する気持ちは微塵もなかった。
だから、小川工務店の顧客からは仕事を受注しないと決めていた。
あくまで、独立した会社としての仕事にこだわったのである。

このとき、ご主人は小川工務店に残留することを選んでいる。
父に育てられた恩義を感じてのことであった。

ベリーダンスとの衝撃的な出会い 踊る人生が再始動した!

有限会社ニューイング工藤文子氏 ベリーダンス

起業して2年後、異業種交流会「かしわ会」で出会った神奈川同友会会員に誘われて、同友会に入会した。
そして、入会3年後には経営指針作成部会38部会を受講している。

同時期に、大桟橋の液済会ビル4階にあった設計事務所にシェアオフィスした。

その頃、パーティで出会ったのが、ベリーダンサーのビアンカさんだった。

それまで、高校卒業後もジャズダンスやクラシックダンス、エアロビクスなどいろいろなジャンルの踊りにチャレンジしていたが、実はどれも長続きしていなかった。
ビアンカさんは、工藤さんを紹介されると開口一番こう話しかけてきた。

「あなた、私と同じ臭いがする。やり残したことがあるでしょう?」

その一言で、はっと気づいた工藤さんは、早速ビアンカさんのダンススタジオに通い始める。
それが、工藤さんの12年間にわたるベリーダンス人生の始まりだった。

「ビアンカさんが、すごく格好良かったのです。中学の時にダンス部の先輩に憧れたときと同じです!」と、屈託なく笑う。
シルクロードからヨーロッパ、中東を回って路上ダンスをしてきたというビアンカさんは、ボヘミアンのようで、なるほど格別に格好いい!
工藤さんが一目で魅了されたのも無理はない。

ブラジャー風のトップスに、腰にビーズやコインをあしらったスカートやハーレムパンツで舞う姿は、エキゾチックで情熱的。
工藤さんが踊る姿に魅了された方も同友会会員の中にも多くいるようだ。

ニューイングに貫かれている〝文子イズム〟とは?

有限会社ニューイング工藤文子氏

「踊れる建築士」の異名をもつ工藤さんが、有限会社ニューイングでこだわるのは、顧客にトコトン寄り添うことである。

「手取足取りお世話をするのが、〝文子イズム〟です。」と、きっぱり。

「実は、リフォームというのはクレーム産業なのです。それは、不満や不安こそがリフォームのきっかけだからです。だから、お客様の気持ちをきちんと受け取らないと、満足してはいただけません。」

しかも、工藤さんは要望に一つ一つ応えていくのが楽しいのだと語る。

ニューイングの見積もりは、もしかすると他社より少し高いかもしれない。
だが、そこには不測の事態に対処するための価格がすでに計上されているのだという。
だから、お客様の追加要望がない限りは、工事の過程で余分な費用が上乗せされることは決してない。
しかも、不測の事態がなかった場合には、見積もりより安く仕上がるのだから、予算を決めて融資を受けるときにもとても安心できると好評だ。

心がけているのは、工事の前日に必ずお客様に翌日工事開始することを連絡し、さらに工事当日の朝にも、予定時間に伺うことを連絡すること。こまめな連絡が、お客様との信頼を構築するのだと工藤さんは語ってくれた。

実は、今年2月にご主人が有限会社ニューイングに入社し、工藤さんと合流した。昨年は7,000万円ほどの売り上げだったが、今年はご主人という強い味方を得て、一層飛躍の年になりそうである。

23年前から描き始めたクレヨン画を、描く時間がとれなくなるのかもしれない。これまでに約150枚書き溜めたうちの一枚が、工藤さんの名刺の裏側に印刷されていた。

有限会社ニューイング工藤文子氏

有限会社ニューイング
横浜市神奈川区西寺尾3-8-36
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FAX:045-834-9065
http://new-ing.net

〈取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林 正幸〉