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神奈川県中小企業家同友会
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サン興産株式会社 代表取締役 菅野恒宏氏

ポケットからこぼれ出た種子が地域に花を咲かせ、

人とのつながりが生まれた

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

産業廃棄物の収集運搬事業を、父から承継して18年。

「種子を撒いたわけではないのだけれど、地域に知り合いが次々と増え、いつのまにかネットワークが広がっていました。
ポケットに穴が空いていて、知らないうちにこぼれ出ていた種子が芽を出し、花を咲かせ始めたというかんじかな。」

自らミルで挽いたこだわりの豆でていねいにコーヒーを入れてくれながら、サン興産株式会社 代表取締役社長の菅野 恒宏氏は語り始めた。

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

地元愛の強さは、ピカイチ!

1971年(昭和46年)、横浜市戸塚区(現・泉区)で、祖父が始めた産業廃棄物収集・運搬事業を手伝っていた父と、パートで家計を支える母の元、三人姉弟の末っ子として生まれた。
6歳年上の長姉と3歳年上の次姉に囲まれた待望の長男とあって、皆に可愛がられて育ったことは想像に難くない。
だから、小学校2年生の時に始めた野球もわずか2年後にはやめてしまうような、やや飽きっぽい少年だったと語る。

幼稚園入園前には、大和市いちょう団地に転居。
ついで、小学校入学前に藤沢市に戸建てを購入して転居した。実は、これまで神奈川県を出たことがないと言う。
それというのも、地元の公立小学校・中学校を経て、神奈川県立湘南高校に入学。次いで、茅ヶ崎市内にある文教大学国際学部に進学し、かながわ信用金庫に就職しているからである。
とにかく地元愛が強いようだ。

姉たちの背中を追って、吹奏楽部に入部

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

中学生になると、姉たちの背中を追って、吹奏楽部に入部した。担当したのは、パーカッションパートである。

「姉がドラムを叩く姿が格好良かったから。」と語るが、それまでにピアノを習ったことさえなかったという。

「音符は苦手。だから、メロディーを奏でる楽器ではなく、パーカッションを選びました。」
それでも、母がクラッシック音楽ファンで、日々の生活の中にいつも音楽があったと語る。

小学生の頃から学級委員を務めるなどリーダーシップに長けていた菅野氏は、吹奏楽部でも部長に任命される。
その頃、技術アドバイザーとして中学校の吹奏楽部に指導に来てくれていたのが、現在の藤沢市副市長なのだそうだ。
それがご縁で、昨年コロナ禍でゴム手袋が手に入りにくかった頃、菅野氏が自社の社員用に購入していたゴム手袋を藤沢市に寄付している。
中学生の時に紡いだ絆は、時を経て、今も繋がっている。

目立つことが好きで、パーカッションパートに

神奈川県屈指の進学校として知られる湘南高校に進学しても、吹奏楽に明け暮れた。

だが、最初に入部したのは、軟式野球部だったという。

「湘南高校には、硬式野球部と軟式野球部があったのですが、野球未経験者だったので軟式野球部に入部しました。入部した中では一番足が速かったので有望視され、すぐに外野に指名されたのですが・・・。練習がきつくて、夏休み前には退部してしまいました。すると同じ塾に通っていた友人から、吹奏楽部に誘われたのです。」

それでも、実際に入部したのは11月に入ってからだったという。どうやら、積極的に吹奏楽部に入りたかったのではないようだ。

「経験者だったので、パートリーダーになったのですが、パートリーダーとしての仕事は女子におしつけていました。」と、笑う。
申し訳なかったな、と思ったのは、卒業して大分経ってから。
「時間が経たないと、気づかないタイプなんです。」と、恐縮する。

ところが、一浪して文教大学に進学しても、選んだのは吹奏楽のサークルだった。もちろん、パーカッションパートである。

「目立つのが好きだったのですね。『もうちょっと音を抑えて、他の楽器に合わせて。』と言われても、それなら他の楽器がボリュームを上げればいいと考えるような傍若無人ぶりでした。」と、懐かしむ。

「卒業後も高校の吹奏楽部の定期演奏会にOBとして出演するのですが、7~8年前ぐらいから漸く音を抑えて周りの音に合わせるようになりました。やっと大人になったというわけです。」と、笑う。

信用金庫に就職。でも、ミスをした!

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

大学の卒論のテーマは、「戦後日米韓関係史~アメリカ主導の外交関係~」であった。
実は、大学入学直前に在日韓国朝鮮人と知り合い、当時納税しても選挙権がないことを初めて知ったという。
その不遇ぶりに問題意識を持ち、卒論のテーマに選んだ。今も変わらず、困っている人がいると放っておけない熱血漢ぶりの一端が見える。

だが、時代は、就職氷河期であった。卒業後の進路に菅野氏が選んだのは、三浦藤沢信用金庫(現・かながわ信用金庫)だった。

「地域の人たちから『無いと困る』と言われる会社に就職したいと考えていました。」

どこまでも熱い男なのだ。配属されたのは、リーディングブランチとして知られる栄町支店(横須賀市衣笠栄町)である。
通勤時間は何と2時間以上!残業で遅くなると、バスがなくなってしまい、仕方なく上司と共にラブホテルに宿泊したことさえあったという。

当時、新入職員には2泊3日の研修があったのだが、最後の夜の懇親会に何と理事長が同席し、酒を酌み交わすことになった。

「君は、信用金庫って誰が名付けたのか知っているか?宿題だ。」と、理事長。

菅野氏はすぐに藤沢市民図書館に行って調べ、翌月曜日に人事部にレポートを提出したという。
それを理事長が評価してくれたのか、融資課に配属されることになる。

最初は、現金の扱いに慣れるために本出納係になり、半年後に渉外係として外に営業に出る予定だった。
だが、半年を目前にした五ヶ月目に大きなミスをしてしまう。すぐに本店から検査部が来て事情聴取と調査が実施された。
そこで、そのミスを挽回するために、その後も本出納に在籍することになる。その後、転勤の辞令が出たのは入社二年後のこと。
藤沢南支店に転勤を命じられ、ようやく地元に戻ってくることになった。
実は、この頃奥様とも知り合っている。藤沢南支店での同僚の同期だったのである。

社内改革で社員が全員辞めた!
その時、勧められて同友会に入会

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

その後、まもなくして父が体調を崩した。糖尿病だった。
地域の中小企業とのつながりもでき、同僚との関係も良好で仕事は順調だったが、一方でサラリーマンであることに限界を感じていた。
そこで、1999年11月に信用金庫を退職し、父の会社に入ることにした。同時に結婚もした。
結婚記念日は、平成11年11月11日。11並びにこだわった。期せずして、自社の創立記念日だった。

入社当初は、主に現場の仕事をしていた。学生の頃から父の会社でアルバイトをしていたので、社員も皆知り合いで、可愛がられた。
だが、2003年に社長に就任し、会社が抱えていた借金を一日も早く返済しようと改革を進めるうちに、社員の心は離れていった。
不満を募らせた社員は全員やめてしまったが、それでも人員補充を繰り返した。

その頃、父の代からお付き合いがある社会保険労務士で元湘南支部長の倉田裕一氏から、神奈川県中小企業家同友会への入会を勧められた。
2009年に入会したが、最初の3年間は報告者の業種を見て、3ヶ月に一度ぐらいしか例会に参加していない、ほぼ幽霊会員だったという。
それが変わったのは、2012年に経営指針作成部会第40部会を受講してからだった。

「今から考えると、もったいないことをしていました。仕事の規模、業種に関係なく、一人一人のバックボーンには学べることがたくさんあったのに・・・。
入会したてのころは、知り合いもいないので、例会の雰囲気になじめずにいました。」

その後、6年間湘南支部副支部長を務めた後、今年から支部長に任命されている。

今も感じる父の器の大きさ
「積替保管含む」は県内に84社だけ

サン興産株式会社 代表取締役 菅野 恒宏氏

サン興産株式会社の仕事は、産業廃棄物の収集運搬業である。
ただし、「積替保管を含む」だ。収集してきた廃棄物をいったん下ろして分別してから処分場に持ち込むことができる認可である。
だから、運搬コストが圧縮できるし、分別チェックもできるので、無駄がない。
神奈川県の許可を受けている収集運搬業者が約12,000社あるのに対してこの「積替保管を含む」業者はわずか84社しかないという。

「父が申請しておいてくれたおかげです。商売人としては僕より何枚も上手でした。日本経済の成長と共に仕事を広げてきました。僕は金融機関出身なので、どうしても守りの経営になってしまいますが、父は攻めの経営者でした。しかも、代替わりしてから、父は経営に口を出したことがないのです。」と、父の器の大きさに絶大な信頼を置く。

父が引退したのは、まだ63歳のときのこと。菅野氏は、この時まだ31歳だった。

「人としてもまだまだ未熟でした。ぬるま湯につかって育ちましたから。そんな僕の目が覚めたのは、経営指針作成部会を受講してからです。その時だけは父が『経営理念で飯は食えねえ。』と反対しましたが、おかげで社員のことを考えられるようになりました。その頃、社員は10名ほどいました。」

現在は、現場スタッフが2名、事務職員が1名、そして、長姉がパートで手伝ってくれている。

また、同友会でのつながりから、地域のネットワークも次々と広がり、見積もり依頼も増えた。
今では出会いとつながりに支えられているのだと語る。

「ゴミ処分の仕事は、信頼や信用がないと頼みづらい仕事ですから。」

そんな菅野氏の事務所の一角には、長らく倉庫にしまい込んだままにしていたYAMAHA  YD9000リアルウッドのドラムが置かれている。
近隣にはマンションが増え、なかなか叩けないのだと嘆くが、その横には音を気にせず叩ける電子ドラムセットも購入され、置かれている。
今は2008年から始めたゴルフにはまっているというが、音楽は今も常に隣りにあり、心の支えになっているようだ。

企業情報

サン興産株式会社
所在地:茅ヶ崎市赤羽根2259番地
TEL:0467-53-3553
URL:http://sankousan.co.jp/

<取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林 正幸>