株式会社ミナロ 代表取締役 緑川賢司氏

木型、コマ大戦、ハーバリウム・・・
発想力と行動力で時代を味方につける!

ハットがトレードマーク。それが、「株式会社ミナロ」の社長、緑川賢司氏である。
同友会会員の中でも、ウイキペディアに掲載されているのは、この人ぐらいかもしれない。
この人の周りには人が集まる。
思いがけない事を始めては、人々を驚かし、巻き込んできた。
今や世界規模になったコマ大戦もその一つである。

突然、母子家庭になった!

1967年、横浜市南区で二人兄弟の長男として生まれた。
小学生になるとプラモデル作りに熱中する。ガンダムに夢中になったのは、6年生になったときのこと。
次いで、鉄道模型作りにはまっていった。

父は港湾関係の仕事をしていたが、息子が欲しがっている鉄道模型をこっそり先回りして買ってくるような子煩悩な人だった。もちろん、一緒になって組み立てる。ダイビングが趣味で、賢司少年を連れては海に出かけていた。

だが、中学3年生の夏、友人と伊豆・下田にダイビングに出かけた父は、帰らぬ人となった。
いつもは一緒に出かけていたダイビングに、この日は父だけで出かけての事だった。
父の遺体を引き取りに行く途中の車中、母に告げた。

「俺、高校に行かないで働く。」

すると、母が「あなたに何ができるって言うの?高校ぐらい行きなさい。」

そして、県立磯子高校へ進学した。
すると、入学と共に、せき立てられるようにアルバイトを始めた。
郵便局、コンビニ、ガソリンスタンド、催事場の片付けなど・・・アルバイト代は全額母に預けた。
そして、あらためて母から小遣いをもらうようにしていたという。

その一方で、高校時代にバイクの中型免許を取得し、箱根へのツーリングも楽しんだ。
この頃の楽しさや爽快感を思い出して、46才の時にバイクの大型免許を取得している。

リストラされて、仲間と起業

高校を卒業すると、情報処理の専門学校へ進んだ。
だが、自分には合わないと思い、中退し、再度アルバイトの日々に・・・。

20歳の時、「手に職を付けなさい」という祖母の教えを思い出し、友人が就職していた木型の会社に就職した。
模型で培った手先の器用さや情報処理の学校で馴染んだパソコンの扱い、そして何より持ち前の努力で、20代後半には、取引先から指名を受けて仕事を受注するまでになっていた。

それと並行して、金沢工業団地内での清掃やバーベキュー、野球大会などにも積極的に参加し、地域の社長さんたちとの交流も深めていった。そのことが、35才でリストラにあったとき、大いに役立つことになる。

株式会社ミナロ 緑川氏

造船業の不振や車メーカーの吸収合併による地方移転などで、会社の業績は急速に悪化し、会社は廃業することになった。
だが、26歳で結婚していた緑川氏は、小さな二人の子供を抱えていた。
再就職するのか、独立起業するのか、悩んだことは言うまでもない。
いろいろな人に相談する中で、ある会社の社長さんが言った。

「うちで働けばいい。だけど、若い芽を摘むことになるのかもな。」

その一言に心が動いた。そこで、再就職を考えていた同僚2人に相談したという。
「いつ給料が払えるようになるかわからないし、もしかしたら君たちからお金を借りなければいけない事態になるかもしれないけど、それでも一緒にやるか?」

2人は快諾。
そして、3社残っていたクライアントを引き継いで、2002年8月、有限会社ミナロが誕生した。

インターネットを利用し、顧客を拡大

株式会社ミナロ 緑川賢司氏 ベリーダンス

だが、機械を設備するための電気工事代が十分に用意できなかった。
そこで、電気工事会社の社長に「出世払いじゃだめですか?」と直談判し、OKをもらった。
そして、まずはホームページを立ち上げ、技術や信念を積極的に配信し、新規顧客の獲得と、全国の街工場との輪を広げていった。
向いていないと思っていた情報処理の知識が、こんなところで役に立った。

前の会社でも行っていたケミカルウッドやアクリルなどのモックアップ、木型モデル加工、治具製作に加えて、ケミカルウッドを個人に販売するオンラインショップも始めた。
実は、前の会社でもオークションサイトを利用して販売はしていたのだが、今回はECサイトを立ち上げて本格的に販売することにした。
当初は個人向けを考えていたというが、美術系の専門学校などから大量注文をいただくこともあり、顧客の範囲はあっという間に広がっていった。

だが、いつも順調だったわけではない。
困っていた時に、知人が「保険が満期になったから、使ってくれよ。」と、70万円を差し出してくれたこともあるという。
一度は断ったものの、「必ず返します!」と受け取らせていただいた。

そのお金は3年後に利子をつけてちゃんと返した。
常に人に恵まれたと語るが、緑川氏の人柄ゆえの逸話だと言えよう。2006年には資本金1,000万円に増資し、株式会社に組織変更した。

創業7年を迎えるころ、取引先はすでに2,500件以上になっていた。

ガンダムの神様との出会い
そして、コマ大戦を始める

株式会社ミナロ 緑川氏

ある時、ガンダムのモビルスーツをデザインした大河原邦男氏からケミカルウッドの注文がきた。
大河原氏は、アニメーション作品における日本初の専門メカニックデザイナーである。
ガンダム世代においては、まさに神様のような存在だ。
「まさか」と思い、調べると本人だった。すぐに手紙を書いて、材料をプレゼントした。
その後、大河原氏とインターネット上での交流が始まる。

だが、運命の糸はさらに繋がっていた。
東京モーターショーに展示する近未来的自動車のモックアップ製作にミナロが指名される。
しかも、偶然にもそのデザインは大河原氏が依頼されていたのである。2009年11月11日、大河原氏がミナロにモックアップ製作の現場見学に訪れる。その日を緑川氏は「神降臨の日」と呼んでいる
。模型好き少年の夢がかなった日である。

その頃、緑川氏は日本の町工場をもっと盛り上げたいと考えていた。
「技は心と共にあり」を合言葉に製造業にかかわる経営者集団「心技隊」を2008年に結成し、隊長に就任していた。

2011年、東日本大震災で製造業が疲弊する。
そこで、思いついたのが、偶然手にしたコマを使って町工場を盛り上げることだった。
町工場が技術を駆使して手回しのコマを作り、ケミカルウッド製の土俵の上で戦わせる「全日本製造業コマ大戦」の始まりである。
2012年2月、第1回目を開催(全21チームが参加)すると、すぐに注目を集め、第2回大会にはNHKがテレビ番組で取り上げてくれた。

2015年には「NPO法人全日本製造業コマ大戦協会」に組織変更し、緑川氏が会長に就任(2017年より名誉顧問)。
同年、世界大会を開催し、7か国が参加するまで見る見るうちに成長していった。
その際には、予算がとれないボリビアチーム招聘のため、同友会内でも募金活動が展開されたのは記憶に新しい。

ご縁が重なり、念願の映画俳優デビュー

コマ大戦の世界大会が開催された2015年、緑川氏にとってはもう一つ思い出深い出来事があった。自身が主演俳優の一人として出演した映画「未来シャッター」(製作:NPO法人ワップフィルム)の公開である。

実は、緑川氏はフリーターをしていた10代のころ、一獲千金を夢見て劇団のオーデションを受けたことがあると語る。無事に合格したが、母子家庭だった緑川氏は、入会金が必要ということがわかり諦めた。その際、母が無理をして枕元にそっと入会金を用意してくれたことが今も忘れられないという。それから、約20年を経て、材料化学の勉強のため週1回通った訓練校で講師をしていたのが、何と偶然にも劇団員をしている人だった。

「役者やれよ。向いているから。」と言われ、劇団に飛び込む。
稽古を重ね、1年後には逗子市民劇団「なんじゃもんじゃ」でナレーション・デビュー。
2年目から俳優として舞台出演も始めた。

舞台に上がり始めて3〜4回目の時、映画監督が見に来ていた。
それこそが、緑川氏が出演することになる映画「未来シャッター」の監督、高橋和勧氏である。
「未来の閉塞感を打開する映画を作りたい!キーマンになる人に君を抜擢したい!」と、緑川氏を誘った。
だが、大手プロダクションの俳優さんたちも参加するオーデションである。思わず尻込みした。

それにもかかわらず出演を決心したのは、ナレーションを依頼しているのが、菅原文太氏だと聞いたからである。
意外とミーハーなのだ。だが、その頃すでに癌を患い余命宣告されていた菅原文太氏は、ナレーションを辞退することになる。だが、緑川氏の映画出演は実現した。最終上映日は2019年4月13日で、何と1,382日のロングラン上映となった。

「子供のころ、かなえられなかった夢を見させてもらいました。」と、緑川氏。
試写会での舞台挨拶が、当日列席してくれた母への何よりの親孝行になったと緑川氏は語っている。

台風被災の会社をハーバリウムが救った!

株式会社ミナロ ハーバリウム

仕事は、しばらくの間順調だった。だが、造船不況により、木型の仕事は徐々に失速していく。

そこで、3年前から手掛け始めたのが、「ハーバリウム」ある。
当時在籍していた事務員の女性の提案で始めたという。

「実は、瓶もオイルも工業製品。その上、花もブリザーブドフラワーで、加工されている工業製品なのです。女性向けのB to Cの仕事をしたいと考えていたので、最適だと思いました。」と、緑川氏。
2か月に1回はクイーンズスクエアなどでワゴン販売をすると言うが、昨年9月の台風被害で浸水してしまった工場の稼働はまだ順調とは言えず、現在はケミカルウッドとハーバリウムのインターネット販売が売り上げの半分を占めるまでになっていると語る。
コロナウイルスによる緊急自粛の際は、Zoomによるハーバリウムの教室も開催している。

それに加えて、昨年から「エポキシアート」も手掛け始めた。
エポキシ樹脂をつかったアート作品で、これをテーブルなどの家具にも応用している。今後は、インテリア家具の販売も手掛けたいと熱く語ってくれた。

現在、1階には注文販売の花屋さんと木枠の工場があり、アメリカのダウンタウンを想わせる赤い外階段を上がると、2階が工場で、3階がハーバリウムのショップになっている。

ところで、緑川氏が同友会に入会したのは、2011年8月のこと。
製造業の友人が会員だったので、ゲストで数回出席していたが、同友会に入れば45,000人もの経営者に出会えると思い、入会に踏み切った。
その後、4年間政策委員長を務め、中小企業の地位の向上に力を尽くしてきたのは、同友会会員なら知らぬ人はいない。
入会の動機のとおり、全国に仲間の輪を広げている。

ミナロでは、70代になった母が週2回従業員の給食を作り、1年半前からは、弟が合流し、アットホームな職場になった。

株式会社ミナロ
横浜市金沢区福浦2-13-34
TEL:045-784-6692
FAX:045-784-6693
https://www.minaro.com/

〈取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林 正幸〉