みらいFP研究所

趣味はクラシック音楽を録音・編集すること

国鉄勤務から、保険業へ
全国に広がる人脈が財産だった!

紳士の帽子、ハットがトレードマーク。老若男女に愛される気さくなキャラクターで人々の心をつかんでいるのが、「みらいFP研究所」の代表・齋藤英夫氏である。26年間経営してきた保険事業「ソニー生命」の営業販売を2015年に退任し〝もめない事業承継のアドバイザー〟に転身して4年が経った。
現在は、自宅を事務所に活動中で、取材当日はトレードマークのハットではなくハンチングを粋に被り、菊名の高台にあるご自宅から車で迎えに来てくれた。

小学生時代に、鉄道に開眼!

齋藤氏は、1948年に京都市内のお寺で誕生した。大連から4才上の兄を連れて引き揚げてきた母は、妹の嫁ぎ先であった京都市内の寺に身を寄せ、齋藤氏を産んだ。
3才まで寺で過ごした齋藤氏は、その後下京区の借家に越し、小学校3年生までを京都の町中で過ごしている。
父は引き上げ後、建築・設計の仕事を始めたがうまくいかず、友人に誘われて大阪にある内装・室内装飾の会社に就職する。
そこで、齋藤氏も共に大阪に引っ越し、中学3年生までを大阪で過ごすことになる。

「大阪と言ってもはずれの方で田舎でしたから、大和川や近くの池で、釣りをしたりして遊んでいました。」
だが、その一方で小学校高学年になると、鉄道に夢中になる。
父のカメラを譲り受け、大阪市内はもちろん和歌山にも撮影に行くようになった。撮影したのは、蒸気機関車である。
同時に鉄道模型にも熱中した。「鉄道模型趣味」と言う雑誌は、1961年~1977年までファイリングされ、今も自宅の書棚に大切に保管されている。

鉄道の旅に出るために、家庭教師を掛け持ちして資金稼ぎ

そして、中学3年の時、横浜に引っ越してくる。それが、現在のご自宅である。
神奈川県立翠嵐高校に入学すると、迷わず鉄道同好会に入会した。体操部との兼部であったが、体操部は1年生の終わりに早々に退部したと笑う。

高校卒業後は、都立大学法学部に入学。
「本当は理系に進学したかったのです。でも、色弱だった私は、当時は理系に進学できませんでした。
数学は得意だけど英語が苦手だったから、試験科目に数学がある都立大学を選んだのです。(笑)」
そして、やはり鉄道愛好会(のちに「鉄道問題研究会」と改名)に入部する。時には、家庭教師を2件掛け持ちして資金稼ぎをし、お金が貯まると鉄道の旅に出る。

夏休みともなれば、周遊券を買い、寝袋を持って3週間北海道旅行を続けたこともあるという。
実は、その際、その後鉄道問題研究会の仲間と合流し、さらに1週間北海道で過ごし、なんと合計1か月間北海道で鉄道の旅を続けたというから驚く。
だが、鉄道好きが高じて、就職留年をする。
そして、翌年就職したのは、国鉄であった。どこまでも鉄道好きなのである。

国鉄からJRへ
総務省交通安全対策室にも出向した

みらいFP研究所 代表 齋藤 英夫氏

研修後に最初に配属されたのは、東京駅だった。当時は紙の切符だったから、切符を売ったり、切ったりすること2年間。
次に配属されたのは、東京車掌区。そして、その次が国立市にある中央販売センターだった。

この頃、友人の結婚式でのちに奥様となる女性に巡り合う。一目ぼれした齋藤氏は、猛アタックの末、1978年に結婚し、のちに一女一男を授かっている。

その後、丸の内本社旅客局営業課を経て、国鉄の分割民営化に直面。
JR東日本の投資計画部に配属になった。途中、総理府(現・総務省)の交通安全対策室にも出向している。

JR東日本の投資計画部では、山形新幹線や駅前再開発、ガーラ湯沢のスキー場開発、横浜博覧会の入場券販売などに携わった。
日本中に知り合いができ、それが後に大いに役立つことになる。

JRからソニー生命へ
国鉄時代の人脈を携えて、華麗な転身

鉄道漬けの人生が、ある日変わる。「仕事と趣味は違うと思い始めたのです。鉄道は、趣味でいいと・・・。」

1989年、高校時代の先輩に誘われて、ソニー生命に入り、保険を売り始める。個人事業主として、独立したのである。
「国鉄時代の人脈があったので、仕事にはそれほど苦労しませんでした。」

人の心に垣根を作らせない笑顔で次々と営業し、北海道から沖縄まで、個人・法人を含め1,000人を超える顧客を獲得した。

だが、60才で定年を迎えた後、さらに7年間嘱託で勤務し、2015年に「みらいFP研究所」を立ち上げる。
現在は、ファイナンシャルプランナーの資格や同友会の人脈を生かして、もめない事業承継のアドバイザーとして活躍している。

一方、同友会には1993年に入会した。ソニー生命の先輩からの引継ぎだったという。
「ひと回りもふた回りも違う仲間と、気兼ねなく酒が飲めるのがいいよね。」と、目を細める。若い会員からタメ口をきかれても、嫌な顔ひとつせず、むしろ嬉しそうだ。

JR全線制覇は、日光駅が最終駅だった

みらいFP研究所 齋藤英夫氏の帽子
いつの日からかハットがトレードマークになった

小学生から続く趣味である鉄道は、1973年にすでにJR全線制覇を成し遂げている。
その功績は「時刻表名探偵」(石野哲著・昭和54年発行)という本に明記されている。
国鉄入社後、研修が終わってから一年がかりで成し遂げたという。最終達成駅は日光だった。

そして、実は国鉄時代に増えた趣味がもう一つある。それは、オーディオ。
NHK・FMのクラシック放送を録音し、編集する。書斎に並ぶCDはゆうに2,000枚を数えるオーディオマニアなのである。
自宅地下室にあるオーディオルームが、目下齋藤氏の城のようだ。好きな作曲家はモーツァルトだと語る。

「何か一曲きかせてもらえませんか?」と、お願いしたら、聞かせてくれたのは室蘭本線のSLの走行音声だった。
やはり、今も〝鉄分(鉄道の成分)〟の方が高そうなのである。


みらいFP研究所
横浜市港北区菊名5-21-10
TEL:090-8949-0043

〈取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林 正幸〉