「鯛焼き屋さんだったらしいよ。」「化粧筆のお店でしょう?」「いや、セミナー講師だよ。」「FMラジオのパーソナリティもしているらしいね。」と、八面六臂の活躍で知られるのが、株式会社マネジメントブレーン代表取締役社長の姫野裕基氏。
一体何者なのか?謎は深まる。そこで、今年度、たま田園支部長に就任した姫野氏にお話を伺ってみた。
1968年(昭和43年)国分寺生まれの53歳。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に、姉妹に挟まれた長男として生まれた。
4歳の時に、両親が横浜市磯子区に家を購入して転居し、地元の幼稚園、小学校、中学校を卒業している。
現在はセミナー講師など、人前で話す仕事が主だが、幼稚園時代は登園を嫌がるほど人見知りだったと言う。
しかし、卒園時には卒園生代表の言葉を皆の前で述べたと言うから、すでに現在の萌芽はあったのかもしれない。
小学校時代は、走るのが得意な少年だった。しかし、どうしても勝てないライバルがいた。そこで、ライバルの苦手分野を調べて水泳を始めたというから、折り紙付きの負けず嫌いでもある。
中学校は、ゆずや美空ひばり、杉山清貴など、多くの著名人を輩出した岡村中学校を卒業している。だが、進学した当時、中学校は荒れていた。校庭にバイクで乗り入れる生徒がいたり、校舎のガラスがいつも割れていたり、廊下でシンナーを吸う生徒さえいたというから驚く。
「まるで『少年やくざ』でした。不良が多く、毎日がスリリングでした。」と、語るが、これには後日談がある。
当時は怖くて目をあわすこともできなかった番長の少年と、成人してから同窓会で出会い、なんと意気投合して、小学校の同窓会や中学校の70周年記念同窓会を二人で仕切ることになったのである。
もちろん、皆が怖がるといけないので表向きは姫野氏が代表幹事を務めたが、裏で企画・運営を仕切ったのはかつての番長だったというから人生はわからない。
70周年記念同窓会には、杉山清貴やゆずがビデオレターをくれたと顔をほころばせた。
実は、姫野氏は岡村中学校時代に、生徒会長を務めている。
「先生から家に電話があり、立候補を依頼されたんです。
でも、絶対にイヤだった。だから、最終的には副会長ならと承諾したのですが、フタを開けてみたら会長だった。はめられました!」と、苦笑いする。
だが、先生からの信頼を一身に集めるほど優秀な生徒だったことは間違いない。その後、学区トップ校の県立横浜緑ヶ丘高校に進学した。
中学時代は陸上部だったが、高校で入部したのは、バレー部だった。
経験者が多い中、未経験な上に自慢の俊足も生かせないバレーボールとあって、レギュラーになるのは難しかった。
「身長が伸びることを期待して入部したのですが、あまり効果はありませんでしたね。」と、笑う。
その後、一浪して進学したのは、長島一茂が在籍していたことでも知られる立教大学社会学部産業関係学科だった。スキーのサークルに入り、大学生活を謳歌した。
「時代はバブルまっただ中だったので、遊びまくっていましたね。人生の夏休みでした。」
そこで、知り合ったのが、現在の奥様である。「私をスキーに連れてって。」と、言ったかどうかはわからないが、7年間のお付き合いの後、27歳で結婚し、現在22歳と18歳になる男の子を二人もうけている。
1992年、大学を卒業すると、富士ゼロックスに入社した。当時は、バブル終焉期で、すでに情報産業の時代に突入していた。
入社当時、富士ゼロックスは社員教育に力を入れており、営業研修が半年間もあったという。
しかも、すでに課題解決型提案営業を推進し、今やあらゆる企業で採用されているロジックツリーやロールプレイング等の手法もすでに取り入れていた。
そこが気に入って、姫野氏は入社を決めたと語る。
「この研修が、現場に出たときにとても効果を発揮しました。
特にロールプレイングは、今もセミナーをする際、起業する方々にお勧めしています。」と、姫野氏。
最初に配属されたのは、城南支店(五反田)だった。しかし、上司とそりが合わなくて、翌年にはすぐに港支店(虎ノ門ヒルズ)に転勤した。
「営業は、当然ながら厳しいこともたくさんありました。自分のミスではなかったのですが、顧客の怒りを買って、小学生のように2時間ぐらいオフィス内に立たされたこともありました。
OLさん達にクスクス笑われたりして・・・。それでも、その後そのお客様には随分可愛がってもらい、叱られることも多かったですが、たくさんご購入頂きました。ご自宅に食事に招待して頂いたこともあるのですよ。」
やがて仕事に慣れていくうちに、マーケティングや企画のことをもっと勉強したいと思い始めた姫野氏は、学校に通い出す。
すると、そこには中小企業の経営者がたくさん学びに来ていて、若かった姫野氏は可愛がられた。1990年代から2000年にかけては、アナログからデジタルに移行する時期で、楽天やサイバーエージェントなどが頭角を現し始め、時代がうねりをあげて変わる頃だった。
姫野氏も次第に独立を思い描くようになる。
2000年、富士ゼロックスの後輩に誘われて、システムエンジニアをしていた大学時代の友人を誘い、3人でITベンチャー企業「株式会社ネオセルラー」を立ち上げた。
実は、1999年、富士ゼロックス時代に同僚2人と共に中小企業診断士の資格取得を目指して勉強会を始めていた。
しかし、2000年に受けた1回目の受験では、残念ながら不合格。
ところが、2年目には仲間が5~6人に増えた。週1回各自テスト問題を作って持ち寄り、勉強した。最低点の人が最高点の人にラーメンをおごるとか、月間集計をして最低点の人が焼き肉をおごるというように、ゲーム性を持たせて皆で楽しみなら勉強会をしていたが、姫野氏自身は2000年に起業したことにより多忙を極め、少しずつ勉強を続けることが困難になっていった。
ところが、当然受かるはずがないと思っていた2001年の試験で、一次試験に合格した。仲間うちでは2人だけだった。
もう1人の仲間は、その後強化ゼミに通うなど二次試験の合格に向けて猛勉強を進めていたが、姫野氏にはその時間さえ無かった。
友人が見かねて教材を貸してくれた。すると、二次試験では、友人を差し置いて姫野氏だけが合格した。いつも仲間に奢るばかりだった落ちこぼれの姫野氏が合格したことで、仲間達は奮い立ち、後に次々と全員が合格することになる。こうして、姫野氏は2002年4月、中小企業診断士に登録された。
だが、一方で「株式会社ネオセルラー」は一部上場企業や著名コンサルタントなどから億を超える出資を受けながらも、営業実績が伸び悩んでいた。そこで、2003年に代表取締役だった友人の父が経営する「株式会社ネオレックス」に吸収合併されたのを機に、姫野氏は独立を決める。
すると、マーケティングの勉強に通っていた企画・マーケティング会社から、修行を兼ねて入社しないかと打診された。
そこで、今度は中小企業診断士として入社し、企業研修、講演、中小企業のマーケティング支援などの活動を開始することになる。
その後、6年間在籍し、2008年に代表取締役社長に就任した。
そして、2009年、ついに満を持して独立をする。中小企業診断士事務所「ひめの企画」の設立である。
お世話になっていた税理士の静間俊和氏(当時、株式会社マネジメントブレーン代表取締役社長)に挨拶に行くと、会社を手伝ってくれないかと頼まれ、独立と同時に株式会社マネジメントブレーンに所属することになった。同時に、なぜか実店舗の鯛焼き店を開店している。
「仕事で訪れた福岡で、行列ができる鯛焼き屋さんを見ました。『白い鯛焼き』のお店でした。当時、私にはB to Bの取引経験はたくさんありましたが、B to Cの経験がありませんでした。しかし、中小企業診断士として活動していくためには、B to Cの経験がどうしても必要だと考えたのです。
鯛焼き屋さんなら、省スペースでコンパクトに、リーズナブルに展開できますから・・・。」
開店すると、その日から連日行列ができた。土日には1日で3,000個もの鯛焼きを売るほど繁盛した。だが、あっという間に飽きられ、2011年5月には閉店を余儀なくされる。
鯛焼き屋の閉店と重なるように、2011年1月、熊野筆を売る専門店『筆家かまくら』を開店した。
地方で研修を行った際に、出席していた職人から依頼されてのことだと言う。B to Cの経験値を高めるために、すぐに承諾した。
そして、姫野氏が経営者だけれど、オーナーは地方の職人さんという店舗「筆家かまくら」が鎌倉若宮大路にオープンした。
だが、店は繁盛したが、従業員が定着しなかった。同友会に入会したのは、2014年のこと。中小企業診断士として順風満帆に仕事をしながらも、店舗経営に悩んでいた頃だった。
それと時期を同じくして、株式会社マネジメントブレーンが主催する起業家塾「吉祥村塾」の副塾長に就任した。
しかし、「筆家かまくら」は、信頼して任せていた社員に他のスタッフがついて行けず、すぐに辞めてしまうことが続いていた。そして、さらに信頼していた社員の不実にも気付くことになる。結果として、2016年12月にインターネット店舗だけを残して、実店舗は閉店することにした。
実は、姫野氏の活動には、もう一つ特筆すべきものがある。それは、2016年に開始されたむさしのFMの番組「創業1・2・3!」のパーソナリティとしての活動である。これは、自らむさしのFMに売り込んで制作にこぎ着けた、株式会社マネジメントブレーンが冠スポンサーの番組である。
「今も人見知りで、初めての人は苦手」と言うが、人前で話すことは得意なようである。それとも、創業者を応援したい気持ちの方が強いのだろうか。
2019年4月には、静間社長が会長に退き、姫野氏が株式会社マネジメントブレーンの代表取締役社長に就任した。
こうして、姫野氏は3度起業し、2回他人の会社を事業継承した稀有な経験の持ち主となったのである。
現在、創業塾を中心としたセミナーや研修の講師が八割、コンサルティングが2割で、行政からの依頼などで、地方へもフットワーク軽く出かけている。しかも、起業した人が登記もできるコワーキングスペースやシェアオフィス、貸し会議室のレンタルなど、社長業も忙しいようだ。
そんな姫野氏のストレス解消は、6年前に始めたボクシング。
登戸の川崎新田ボクシングジムに週2回練習生として通い、汗を流しているという。
「相手にひるまずに向かっていき、諦めずに闘う姿勢は、経営にも通じると感じています。若い選手たちのひたむきでストイックなまでの一生懸命さに、刺激をもらっています。」と語ってくれた。
高校時代と体重が変わらないと語る体型は、ボクシングの練習の賜物なのかもしれない。
株式会社マネジメントブレーン
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<取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林正幸>