株式会社ビードッツ 代表取締役社長 佐々木 純子氏

一生懸命生きている女性を応援したい!輝かせたい!

明るい笑い声が聞こえて来ると、しばしばその輪の中心にいるのが株式会社ビードッツ代表取締役 佐々木純子さん。裏表のない人柄に、信頼を置く人は多い。そんな人柄を見込まれ、神奈川同友会の社員教育委員長を託されて、今期で4年目を迎えた。

エステサロン経営という華やかな経歴をもつ傍ら、どんなことがあっても人を信じることを忘れず、努力を続ける日々があったことは、あまり知られていない。

人見知りだった幼少時代

株式会社ビードッツ 佐々木純子社長

1964年、両親の故郷である岩手県で里帰り出産で生まれ、建設業に携わる父の仕事の都合で2歳まで相模原に住んでいた。その後、父の起業と共に、箱根駅伝のコースで知られる横浜・権太坂に越してきた。3歳年上の兄と、7歳年下の弟に挟まれた紅一点。家族に愛されて育ったことは想像に難くない。

自宅近くには父が営む建設業の大工や職人の宿舎もあり、賑やかな環境で育ったが、幼少期はとても恥ずかしがり屋で人見知りだったと話す。元来、人とつるむのが苦手で、一人でいることは全く苦にならなかったようだ。

「だから、仲間はずれにされても、全く気づかなかったのです。」と、笑う。ちょっと天然な子供だったようだ。

両親は仕事で忙しく、夏休みは必ず岩手の田舎に子供達だけで行かされた。「お弁当と冷凍ミカンを持たされて祖父母の家に電車で行ったのですが、東北弁がちっともわからなくて、とても嫌でした。」

働くことが大人への近道と信じてアルバイト三昧の高校時代

中学に入ると、兄の背中を追って、バスケットボール部に入部した。先輩にかわいがられ、部長に指名されたが、友人が部長になりたいと知ると、あっさり譲ってしまう。我先にという気持ちも、バスケットボールへの執着心も全くなかった。だから、高校に入学したら、あっさり帰宅部を決め込んだ。

実は、娘を溺愛していた父は私立高校への進学を予定していたが、「校則が厳しい私立高校はイヤ!」と、原付バイク通学できる公立高校を志願した。

「でも、入学式当日に、今年からバイク通学は禁止になりました。」と、言われてがっかり。

とにかく働くことが大人への近道だと思っていた佐々木さんは、高島屋地下食品売り場のアイスクリームショップやポルタの寿司屋などで、アルバイト三昧の高校生活を送った。どんなに忙しくても、働くことは少しも苦にならなかったという。

どこの店でも、とにかくかわいがられた。しかも、当時はアルバイトで月収7万円を稼ぎ、親からも月2万円のお小遣いをもらっていたというから、高校生としては破格のお金持ちだった。

「兄が毎月2万円のお小遣いをもらっていたので、それが当然だと思っていました。好き放題、やりたい放題でしたね。」と、屈託なく笑い飛ばした。

30日間休み無しに仕事をしたコシノヒロコでのパタンナー時代

株式会社ビードッツ 佐々木純子社長

1984年 東京モード学園のイベントにて。テーマは、未来のワーキングウエア。

実は、小学校時代は手芸部だった。母が洋裁をするのを見て育ったためか、物作りが好きだった。だから、高校卒業後は大学ではなく、ファッションの専門学校を志願した。入学したのは、「東京モード学園」である。そこで待ち受けていたのは、課題に次ぐ課題制作の日々。だが、卒業間近になっても、就職しようという気持ちは微塵も持っていなかった。両親も就職させる気はなかったという。

それでも、三陽商会を受けることにした。人気企業とあって、倍率も高く、合格することはなかった。すると、燃えるのが佐々木さんなのである!先生の紹介で、原宿にあるブラックフォーマルの会社に入社を決めた。新規事業として、フォーマルウエアではない普通の洋服づくりにも参入するためのスタッフだった。小さな会社だったので、洋服作りのすべての流れをここで学ぶことになった。

株式会社ビードッツ 佐々木純子社長

コシノヒロコでパタンナーをしていた頃

すると、ある日、「もういいかな。」と、思い始める。そこで、退社をすると、すぐに友人から声がかかった。「何もしていないなら、うちの会社に来ない?」

「まだ、退社して3日目だから。」と、思いながら「コシノヒロコ」の面接を受け、1週間後にはパタンナーとして入社していた。

そこで待ち受けていたのは、またしても新ブランド立ち上げの準備だった。しかも、他のブランドが1チーム8~10人いるところ、デザイナー1人、パタンナー1人の2人だけのチーム。当然、寝る暇もないほどの忙しさだった。9月に入社したが、30日間1日も休みがなかったという。しかも、朝6時に出社し、閉館の午後10時までがむしゃらに働いた。通常1人が仕上げられるのは4~8型だそうだが、佐々木さんは当時1人で36型を仕上げていたと言うから驚く。

「9月と2月の展示会前は、本当に忙しかったです。隣の席にパリコレのチーフパタンナーを務めていた男性が座っていたのですが、当時精神を病んでいて、あまり仕事をしていませんでした。そこで、その方に仕事を振り分けて、手伝っていただいていました。」と、実に合理的というか、ちゃっかりしているのだ。大先輩をも巻き込んでしまうのは、佐々木さんの人柄のなせる技と言えよう。周囲の同僚もとても驚いていたようだ。

だが、そんな多忙の中でも、しっかり恋愛もしているところが佐々木さんなのである。入社した年の社員旅行で、旅行の実行委員をしていたパートナーと知り合う。どうやらお互いに一目惚れをしたようだが、この時、おもしろいことを考えるのが大好きな佐々木さんは、新入社員の出し物で、顔を墨で黒く塗り、ハワイアンダンスとフレンチカンカンを融合させたダンスで会場を爆笑の渦に巻き込んでいた。ご主人は、そんな陽気で明るい人柄に惹かれたのかもしれない。

そして、入社後2年で結婚退社した。29歳の時のことであった。

実家の会社の1階でママ友と一緒に家賃ゼロのリサイクルショップ

しかし、すぐに実家の家業を手伝うようになる。建設業を営んでいた実家は、公共事業をメインに受注していたが、この頃は事業を拡大し、軍手の工場も営んでいた。社員は20名ほど。31歳で長女を出産したが、産後1ヶ月ですぐに仕事に復帰した。次いで、34歳で長男を出産すると、さすがに出社が困難になった。なかなか仕事復帰してこない娘に業を煮やして、母が乗り込んできたという。そこで、退社を決意した。

しかし、そこで家庭におとなしく収まっている人ではなかった。幼稚園のママ友と協力して、子供服のリサイクルショップを立ち上げる。ママ友の知り合いが制作しているアクセサリーもそこで販売した。開業したのは、実家の会社の1階である。人が人を呼び、商売はたちまち広がっていった。ついに、社長室でアクセサリー教室やフラワーアレンジメントの教室まで開催した。もちろん、実家なので家賃は無料である。その時のママ友達とは、今もお付き合いが続いていると語る。

起業セミナーでアドバイスを受け融資を受けたくて法人化した!

株式会社ビードッツ 佐々木純子社長

その頃、自身の体調不良から、空き時間を利用してアロマセラピーを習い始めていた。すると、長年悩んでいた体調不良がみるみる改善していった。「同じように体調不良に悩んでいる方達の役に立ちたい!」そんな想いがどんどん膨らんでいき、1999年12月にアロマセラピーサロンを開業する。

「アロマのおかげで、子供達も私も病院にほとんどかかったことがありません。薬も飲まないの。」と、微笑む。

次いで、エステの勉強もし、リラクゼーションエステを始めた。

一方で、お父様は面倒見の良い方で、困っている人を見ると放っておけない人だった。知り合いの不動産屋さんに会社1階の3分の1を貸すようになっていた。だが、その後父の会社が倒産すると、その不動産屋さんが豹変し、嫌がらせを受けるようになる。

見かねた兄が、駅前の物件を借りることを提案してくれた。そこで、2006年8月に東戸塚に移転を決めた。

だが、移転すると客が半減した。悩んだ佐々木さんは、空き時間を利用して商工会議所主催の起業セミナーに通うことにした。

当時、時代は脱毛ブームだった。「それだ!」と思った佐々木さんは、光脱毛の機械がどうしても欲しかった。すると、商工会議所の起業セミナーの講師から、法人化したら商工会議所のマル経融資(小規模事業者経営改善資金融資制度)が受けられることを教えてもらう。その頃、経営のことは何もわからなかったが、とりあえず早速法人化し、「株式会社ビードッツ」を立ち上げ、融資を受けた。2007年のことである。

神楽坂店、上野店を次々にオープン。そして、スタッフのサボリが発覚!

会社にしたので、とりあえず支店を出し、人を雇うことにした。法人化した年の10月に、早速2号店「RHB神楽坂」をオープンした。スタッフの入れ替わりは激しかったが、人とのつながりが人を呼び、スタッフに困ることはなかった。だが、1~5ヶ月で開店休業状態になってしまった。スタッフが9人もいるのに、売上は一人分だった。

「今思うと、思いはあるのに発信ができていなかったのです。それでも、お客様から『ありがとう』と言われるのが嬉しくて、『ありがとう』をどんどん増やしていきたいと思っていました。
当時はスタッフとのコミュニケーションがうまくとれていませんでした。スタッフは取り替えがきくと考えていたのです」

それでも、2010年5月には、まつげパーマのサロン「まつげ家くるん上野店」もオープンした。フランチャイズの店舗である。

だが、月商100万円を見込んでいたが、いつまでたっても30万円ぐらいにしかならなかった。3店舗で経費が3倍になったこともあり、赤字がどんどん膨らみ、たちまち500万円にまでなっていった。

「経営の知識がなく、スタッフを増やせば、単純に売上が上がると考えていたのですね。」自分の給料は3年間ゼロだった。夫の収入があるからできたことだった。それでも、社員への給料遅延は一度もしなかった。

だが、上野は絶対に人が来る場所である。それなのに、売上が伴ってこない。不思議に思い、ある日上野店に行ってみた。インターネット上は予約でいっぱいなのに、手書きの予約台帳はがら空きだった。この時、任せることと、ほったらかしにすることは違うのだと悟った。

同友会との出会い そして、黒字企業へ

株式会社ビードッツ 佐々木純子社長

2014年のある日、お客様に世間話のように「スタッフが言うことを聞かなくて・・・」と、愚痴ったら、「勉強しているの?」と、叱られ、神奈川県中小企業家同友会の全県研究集会(現・かなかん)に誘われた。経営指針の分科会で話を聞いてすぐに入会を決め、早速経営指針43部会を受講した。すると、受講後2年目に赤字が解消し、3年目には黒字に転じたという。今期は43部会で作った10年ビジョンの6年目の目標売上を達成し、前年比40%増、同友会入会当時の3倍の売上を計上するまでになった。

「実は、企業変革支援プログラムの1期生でもあります。だけど、私はスタッフとも正面から向き合っていたいから、思ったことはすぐに言葉に出してしまう。ついついうるさく口を出し過ぎてしまうのです。だから、今年の年明けからは現場に口出しをしないようにしています。皆を包み込むような経営者でありたいです。そして、皆で成長して行く会社でありたいですね。」と、目を輝かせた。

5年前の12月に「RHB神楽坂店」を閉店し、2019年3月に「まつげ家くるん上野店」をフランチャイズ元に売却した。現在は、横浜西口店と東戸塚店の2店舗を経営する。そして、6月8日に今度はまつげエクステのサロンを横浜にオープンする。

現在社員は11名。エステティック未経験者も育成し、新卒採用もするなど、攻めの姿勢は変わらない。そんな多忙な佐々木さんの癒やしになっているのが、2020年12月から飼い始めたトイプードル犬の「蘭丸」だという。

「子育て中の口癖は『早く、早く』でした。子供達のお迎えをして、ごはんを食べさせてから、再度出勤したこともありました。ワンオペ育児でしたね。」と、しっかり者の母の顔も合わせ持つ。忙しく駆け抜けてきた人生だからこそ、今は蘭丸が癒やしの存在であり、家族の架け橋にもなっているようだ。

株式会社ビードッツ
本社:横浜市戸塚区品濃町539-3 エクセル東戸塚210
TEL:045-826-4663
https://r-h-b.jp/

〈取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林 正幸〉