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神奈川県中小企業家同友会
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合資会社笑う門 代表社員 山田 浩和氏


町のクリーニング屋の息子が

商店街や中小企業の応援団長になった

合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏
合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏

とにかく、常にあちらこちらに首を突っ込んで、なんだかいつも楽しそう。
色々な町や商店会、中小企業から頼りにされているのが、「合資会社笑う門」代表社員の山田浩和氏である。
小さな「困った」を独創的なアイデアで解決してきた。一体これらのアイデアはどこから生まれてきたのだろうか。

色白でおとなしい幼少時代を経て
のび太のような、やんちゃな少年に

合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏
父が営むクリーニング店の店内にて、2歳
合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏
小学校5年生、林間学校で訪れた金時山にて

1971年、横浜市保土ヶ谷区桜ヶ丘で第二子、長男として生まれた。当時、両親は西区久保町のニコニコ商店街で、クリーニング店を営んでいた。近所には同い年のいとこが住んでおり、父の働く姿を見ながら、いつも姉やいとこたちと遊ぶ日々を過ごしていた。

活発な姉とは異なり、色白でおとなしい子供だった。幼稚園に入園するが、幼馴染みとは違うクラスになってしまい、集団に馴染めず、登園拒否することもあったという。

それでも小学校に入学すると、幼馴染とも同じクラスになれて、楽しく過ごせたようだ。

山田氏は第二次ベビーブーム世代だったから、40人クラスが4クラスあったそうだ。2年生の時に母の勧めで習字を始めるが、長くは続かなかった。普段は、友達と小学校の校庭でソフトボールやドロ巡(ドロ警と呼ぶ地方もある)をしたり、近所を自転車で走り回ったりして遊ぶことが多かったという。

当時は、漫画「釣りキチ三平」(1973年より『週刊少年マガジン』に連載)が流行っていた。それに影響を受け、友人と釣りを始めている。相当な漫画・アニメ好きで、ドラえもん、Dr.スランプ、キン肉マン、北斗の拳、タッチなどを次々と読破した。また、特撮ヒーローものも大好きで、ウルトラマンや仮面ライダーにも夢中になった。

友人たちと釣りに行ったり風呂屋に行ったり、また、友人宅の車で車中泊したりと、友人たちとの遊びを謳歌した。その仲間の一人が、今、同友会で共に学ぶ「株式会社ゼタ」の鳥居久継氏である。

人生の師と仰ぐ先生と出会った!

中学校に入学すると、友達に誘われて、バドミントン部に入部した。あまり練習に熱心な部ではなかったが、とにかく先輩が怖かったという。2年生になると、同級生の紹介で少人数制の個人塾に入った。それが、その後の人生を変える大きな出会いであることに、そのころはまだ気づいていなかった。

先生は、かなり個性的だったらしい。とにかく曲がったことが嫌い。形にとらわれず、好き嫌いがはっきりしていた。しかし、1人1人にとても丁寧に接してくれた。だから、それまでは遊ぶばかりで勉強をしてこなかった山田氏だが、徐々に勉強することが楽しくなっていった。結果、2回続けて満点を取ることができ、自信につながっていった。

現在も、塾の先生との交流は続いている。「好きなことをやれ」と励まされたことが、のちの起業につながっていると語る。

目指したのは、世界を飛び回る国際人

合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏
本人曰く「80年代のダメな高校生」時代

しかし、高校受験で第一志望校に合格することは叶わなかった。春休みに空手道場に入ってみるが、わずか1年半でやめている。その後は、滑り止めで受験した公立高校に進学。本人曰く「80年代のダメな高校生」を謳歌した高校生活を送ることになる。

しかし、天王町駅近くにあるケーキ屋さんでのアルバイトは高校在学中だけでなく、その後も二年間継続している。厨房、喫茶店のホールサービス、ケーキの販売と、色々な部門でのアルバイトを体験しており、その経験は今も役立っていると語る。

そして、3年生になると、世界を飛び回る「国際人」に憧れた。大学を受験するが志望校に合格できず、横浜YMCA学院専門学校 英語ビジネス課に入学した。

専門学校時代、すでに将来起業したいと考えていた。しかし、恩師である塾の先生の「まずはサラリーマンを経験した方がいい。」とのアドバイスに従って、1992年、外資系の船会社に入社した。メインオフィスは丸の内だったが、赴任したのは本牧にある横浜支店だった。配属は経理課である。

実は、その年、この会社は社員を募集していないことが、エントリーしたあとでわかった。山田氏は学校にあった古いファイルを見て応募してしまったのだという。それでも、「経理なら空きがある」と、入社が決まった。幸運だった。

経理とはいっても、数字を追うだけの部署ではなく、数字の流れを追い、他の部署との連携をとる部署だったから、経理を専門に勉強したことがない山田氏だったが、仕事は楽しかった。しかも、当時はまだ珍しいパソコンが導入されていた。
さすが、アメリカの企業である。昼休みには、同僚とテニスを楽しみ、ゆとりのサラリーマン生活を送っていた。

勤務先が買収され、次に目指したのは
地元商店や企業のブランディングだった

合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏

しかし、7年後にその生活は突然終わる。会社が買収されたのだ。1999年、買収先企業の財務会計部(紀尾井町)に移籍し、1年間勤務したが、どうにも居心地が悪く、退社してしまう。

実は、その少し前から独立起業を目指して勉強を始めていた。そこで、本格的に起業準備を始めることにした。

まずは、とある会員制企業に勤め、セミナーの立ち上げに係り、時には講師も務めた。ここで、サブスクのノウハウを学ぶと共に、外部講師としてやってきた方から起業のノウハウやビジネスに必要なことを学んだ。

そして、ある日、ブランディングの勉強会に出会う。これこそが、その後の山田氏の仕事の方向性を決定づけたと言っても過言ではない。

「大企業やファッションブランドではなくても、ブランディングが有効なのだとわかりました。家業のクリーニング店のような小さいお店や商店街でも生かせるのでは、と考えたのです。」

そうして、商店街や中小企業でブランディングをするという、起業の方向性が決まっていった。合資会社にしたのは、当時は有限会社や株式会社は資本金を用意する必要があったから。合資会社は2円の出資金から作れたからなのだそう。これも、師と仰ぐ外部講師の方の勧めだったという。

一方で、大学時代にはサークル活動はせず、リゾート地でのアルバイトに打ち込んでいた。箱根のホテルで住み込みのアルバイトをしたり、週末に軽井沢のホテルで結婚式のウエイターをしたりした。また、赤倉のホテルで1か月半アルバイトをしたときには、休み時間にスキーもできて楽しかったと懐かしそうに語る。「アルバイト代がすごくよかったから。」と、笑うが、今も旅行が趣味。運転免許証は、高校3年生の一学期に取得済み。だから、父の車を借りてよくドライブにもでかけていた。

師匠に教えられたのは、それだけではなかった。地元に目を向けること、素人の目線が大切なこと、自分のメディア(例えば、フリーペーパー)を持つこと、そして、自分のコミュニティを創るノウハウなどを学んだ。さらに、子供が描いたように下手な絵こそ味があると、山田氏が描くイラストをほめてもらい、自信につながっていったという。

2年間は準備期間とし、デザインや画像加工ソフトなどを専門学校の夜間コースで学び、マーケティング、ブランディング、起業のセミナーに参加して、勉強を重ねた。 そして、2003年、32歳の時、満を持して起業。「合資会社 笑う門」の誕生である。
とはいうものの、すぐに仕事がくるわけではない。まずは、地元である保土ヶ谷・天王町・星川のコミュニティ情報誌「ほっと程ヶ谷」を制作した。取材であれば嫌がられないという師匠の教えを実践したのである。1,000部ほど作って、地元の商店や図書館、区役所などに置かせてもらった。もちろん、製作費は自腹だった。

しかし、それがきっかけとなり、区役所から声をかけてもらい、区の街づくり協働事業に参加することになる。商店会、町内会、自治会、など、地元での人脈が広がっていった。

東海道の名物をつくろうと、2005年、「保土ヶ谷宿名物会」を発足、事務局に就任。東海道の宿場町である保土ヶ谷宿の店舗五店が参加した。古き良き商人の心意気を教えていただく、貴重な機会となったのは言うまでもない。保土ヶ谷の名産品がジャガイモであることがわかり、「じゃが殿様」というキャラクターも自ら創っている。

人のつながりが、次々に仕事を呼び込んだ

合資会社笑う門 代表社員 山田浩和氏
2014年保土ヶ谷宿名物会の商店主の皆さんと共に

人脈が広がると、さらにそこから新たな人脈がつながっていく。今度は、和田町商店街と横浜国大の「商学交流事業」に参加する機会を得た。そして、2006年、横浜市経済局(当時・横浜経済観光局)の「地域経済元気づくり事業」を受託。
2つの商店街と周囲の町内会を巻き込むその事業は、困難を極めたが、小さなイベントをコツコツ企画開催した。フリーペーパーの発行、商店主によるプロのノウハウ講座の企画・開催、地元の歴史ガイドツアーの企画・開催など、次々に新しいアイデアを形にし、地元の活性化とブランディングに尽力した。

神奈川同友会に入会したのは、そのさなかの2010年のこと。天王町商店街の理事を務める「株式会社とらべるわん」の大貫文夫氏の紹介だった。その後、2015年~2017年横浜支部中央地区長を務め、現在は横浜中央支部幹事や組織委員を務めるなど、活発に活動している。
実は、沖縄出身の奥様とも同友会で知り合った。 家庭を持ち、一層仕事に力が入るようになった山田氏は、今後は中小企業の販促にも注力したいと語る。
「モノを売るのではなく、物語を売る」というメッセージを掲げ、企業のファンづくりのために企画・提案をする。そのアイデア力に期待する企業や商店も多い。目をみはる独創的なその発想力は、幼少期より培われた空想力と、大好きなアニメや神話の世界で育成・醸成されたものなのかもしれない。

企業情報

合資会社 笑う門
本社所在地:横浜市保土ヶ谷区桜ヶ丘1-39-8
TEL:045-331-0018
URL:https://warau-kado.com

<取材・文/(有)マス・クリエイターズ 佐伯和恵 撮影/中林正幸>